新マンション事情

農村の仮設住宅に避難した住民のしたたかさ
市街地の避難所で生活したら散歩位しかできない

 震災で家を失った人々に提供する仮設住宅の工場引き渡し価格240万円で、これは国の基準である。現地組み立て、電気、ガス、水道、排水のインフラ整備にもお金がかかるが、総予算を計画戸数で割ると戸当たり680万円になる。原則2年後には解体、運搬、管理などの費用が別途かかる。阪神大震災では仮設住宅建設は東日本大震災に比べて速く建設できた。公的助成のもとで民営借家を借りた人はわずかに過ぎない。今回は仮設住宅の建設用地が見つからない、建設資材の調達が遅れたなどの理由から、個人的に借りた住宅も見なし仮設として月6万円の助成を可能とした。5月からは5人以上につき月最高9万円を助成することに決めた。2年間で最高助成額は196万円である。権利金、敷金が別途加わる可能性があるが、助成額は仮設住宅の1/3以下で済むから借り上げ住宅の方が格段に安い。新たな土地を必要としない。さらに建設待ちの必要性はない。ただし立地はバラバラになるから、元の近隣住民同士の情報交換、交流が乏しくなる。5月に借家が払底したと言われながら、実際の居住契約世帯は増加し続けている。人に貸すつもりでなかった空き家に大工を入れて修復、改善している住宅もあるようだ。広い庭付きの豪邸を借りた人もいる。意外な借家が出現するようだ。
 阪神大震災時には民営借家を見なし仮設とする例は殆どなかった。東日本大震災では大きな役割を果たし、結果、仮設住宅の住み手が埋まらない事態も生じさせた。仮設住宅建設が遅れたことで、ホテル・民宿による受け入れも見なし仮設として3食付き1泊、一人当たり5000円が助成された。避難民救済には借り上げ住宅同様、大いに貢献した。
 ところで福島県葛尾村の避難先は県内の避難所、ホテル・民宿、親族宅が減って、さらに県外避難者も福島県に戻り、借り上げ住宅と仮設住宅に集約されつつあるようだ。県全体の借り上げ住宅人口は仮設住宅人口を上回るが、葛尾村では仮設住宅数が借り上げ住宅数の倍に達している。仮設の村役場を会津坂下町から三春町に移し、同時に仮設住宅を全て同町に建設できたこと、9月からは村単独の仮設幼稚園を開設し、仮設住宅地内には仮設の7店舗(11月3日現在)と仮設集会所を設置出来た。三春町が葛尾村に近いこと、人口が葛尾村の12倍もある上震災被害が少なく、過疎の葛尾村以上にインフラが整っていることなどが影響したようだ。11月1日には仮設のデイサービスセンターを開所し、さらに村は借り上げ住宅居住者や自主避難者にも支援を拡大した。6月に三春町の仮設住宅に入ると同時に周辺の遊休農地の貸し借りが始まった。畑や水田を借りて農作業をする仮設住宅住民が徐々に増えた。3反部程度の畑、水田を借りる人もいる。秋になって収穫された野菜を天の恵みとして集会所に山積みし仮設住民に分け、喜びを分かち合う場面が増えた。11月は春野菜を収穫するための準備で忙しい。遊休農地を借りたい人はまだ多い。仮設住宅は住民同士の触れ合いを重視し、通路を挟んで玄関が向かい合わせとなるようにした。通路への監視機能は十分だ。おかげで保健師が現地訪問すると、たくさんの住民から声を掛けられて目的の家に到達するには簡単でないようだ。平常時であれば11月は保存食を仕込む時期だ。仮設住宅が狭いのでそれが出来ないことが多くの人々の悩みとなっていた。収穫された農産物を売るところまでは到底届かないが、自ら体を動かすことが体と心の健康維持となっている。農地を借りない人でも三春町の農家の農作業を手伝う人も増えた。郡山市の便利な市街地に住んだら散歩位しかできない。
 とは言え、働き盛りの人の職場確保も重要だ。村は24時間3交代で60人を警備員として雇用している。公務員とならんで今や村の一大産業である。1530人の小さな村はかろうじて団結を維持しているが、復帰居住と営農が出来るか否かは放射能の除染事業次第である。広大な森に囲まれた村を点と線だけ除染して果たして安全宣言出来るのか誰も分らない。(つづく)

(2012年2月号掲載)
(高崎健康福祉大学教授 松本 恭治)