タエコマンションライブ 2011(1月~12月)

朝日を浴びて家族で朝食
それが一番の幸せだと
実感したこの一年でした

 

 

 寒さが来るのが、ゆっくりな今年の冬でしたが、残すところ後1カ月、師走となりました。今年は自他共にめまぐるしく色々なことがありました。思い出すだけで、胸が熱くなり、涙が溢れてきます。
 まず、私ごとですが、職場の人事異動があり施設の入所担当から、通所担当に変わり、主任という管理職もいただきました。それから半年余り、怒涛のように色々なことが起こりました。退職者も多く、何人もの面接をして、職員の採用にも関わりました。そんな中で少しずつ成長させていただきました。そして、多くの人たちにも助けられました。人間は、人間関係で悩み苦しむけど、助けられ、喜びをくれるのも人間関係なんだなぁと実感しました。支えてくれる人が居てくれて頑張れます。私も誰かを支えなければと思います。
 そして、大震災が起こりました。職場で通所の利用者さん達と居る時に、あの揺れを感じました。命を守らなければ、と咄嗟に感じました。夫、子供達のことも心配でした。でも、今、お預かりしているおじいさん、おばあさん達にも家族が居て、心配で、心配でたまらないんだろうなぁと思いました。交通渋滞の中、無事、ご家族の方にお渡ししたときの「ありがとうございます」の言葉と笑顔に本当に良かったと感じました。そして、我が家は、その日のうちに全員の無事が確認出来ました。深夜になって帰宅したマンションも無事で停電することもなく、いつも通りでした。でも、テレビで見る日本列島は大変なことになっていました。
 そして、年末を迎えました。今年一年、頑張って来れたことに感謝です。生きて働けることの素晴らしさを感じることの出来た年でした。人と人との絆ですね。大切です。自分自身の出来ることを精一杯やりましょう。
 朝起きると、我がマンションは、晴天の日には太陽の輝きに包まれます。そんな中で、家族で朝食を食べる。それが、最高の幸せです。

(集合住宅管理新聞「アメニティ」2011年12月号掲載)
【つづく】

 

このマンションでの子育て20年
あっという間でした。長男は
石川遼君と誕生日も一緒の20歳

 

 

 

 今年は、夏から秋へのバトンタッチがゆっくりでしたね。涼しい秋風が吹き始めたかと思ったら真夏日と言って汗ばむような日があったりで、風邪をひいた方も多いのではないでしょうか。
 さて、私事で申し訳ないのですが、我が家の長男が、この度、20歳の誕生日を迎えました。新規分譲でこのマンションに入居した頃には、影も形もなかった彼は、ここで私の体に宿り、誕生し育ってきた訳です。思えば、夢中だったし、一生懸命だったし、必死で育てて来ました。でも、あっと言う間でした。
 マンションの外階段の昇降で鍛えた基礎体力を生かして、水泳選手になった長男です。小学生の頃は、同級生も多かったので、休日ともなれば、外階段の鬼ごっこやら、競争やらで、皆、走っていました。近所迷惑だったでしょうが、ここで鍛えた俊足で運動会での地区対抗リレーでは、常にトップを維持していたのです。その頃の同級生達は、バスケットボールやサッカー、陸上で、中学や高校で活躍していました。このマンションで、共に成長した子供達です。感慨深いです。
 そしてまた、我が家の長男は、ゴルフの石川遼君と誕生日が同じです。同年同月同日です。ですから、遼君の活躍を見ると、我が子とつい比べてしまいます。こちらは、水泳ですが、トップアスリートへの道は、険しく楽なものでありません。どんなに努力しても、すぐに結果が出る訳もなく、我が子が悩み苦しむ姿、結果が出た時の誇らしい笑顔を多く見て来ました。本当に、大変なのです。
 そんな訳で、遼君がどれだけ努力しているか想像がつきます。我が子と同年齢ですが、尊敬しています。いつか、我が子も肩を並べるようなトップアスリートになる事を親馬鹿な私は、夢見ているのです。全く同じ日にこの世に生まれたのです。頑張ってほしいのです。最後に、20歳になった長男に感謝する事は、真っ直ぐに育ってくれました。ありがとう。そのままの君で素敵です。また、親馬鹿。

(集合住宅管理新聞「アメニティ」2011年11月号掲載)
【つづく】

 

交通事故から丸2年
みんなに支えられて
問題解決しました

 

 

 秋らしい涼しい日が多くなって来ました。半袖シャツにパンツという装いで過ごして来ましたが、重ね着の出来る季節なのでおしゃれが楽しめますね。外出した時に、若い人たちのファッションを見るのもおもしろい季節です。ダイエットして瘠せたら、洋服を買うのが嬉しいこの頃です。出費も多いのです。
 さて、私事ですが、仕事帰りに追突事故に遭ってから、丸2年が経過しました。その間、示談交渉も終了し、後遺障害も認められ、問題解決しました。治療費もきちんと負担していただいたので良かったのです。いろいろな方の事故のその後をお聞きすると上手くいかずに泣き寝入りなんて事も多いようです。
 そうです。思い返すと、マンションの前で、郵便配達の車が私の車に向かって、後方未確認でバックして来た事故、高速道路走行中に、落下物が直撃して来た事故も大事にはならずに済んでいますし、保険で全て上手く処理できたので良かったのでしょう。
 しかしながら、万事上手く行くなんて事はないのでしょう。後遺障害の認められた私の体は、やはりそれなりに不調です。症状固定とは、どんな事か解からなかったのですが、時間が経過してもある程度までしか治らないという事なのです。整形外科、整体院、接骨院、いろいろ試してみましたが、一進一退とは、こういう事かと実感しています。
 ある医師に精神科へ行くように言われもしました。痛いのは気持ちの問題だと言うのです。そうなのかなぁとも思ってしまいます。体のパーツを分解して、組み立て直したら治りそうな気がします。仕事は休めませんから、気力で行っております。
 でも、そんな中で、出会った整体の先生や職場の人たちの温かさや優しさに支えられている幸せも感じる事が出来たのが良かったです。
 交通事故は、加害者も被害者も、後々まで大変です。どんなに小さな事故でもです。背中の痛みと共に忘れられない事です。

(集合住宅管理新聞「アメニティ」2011年10月号掲載)
【つづく】

 

新人管理職は悪戦苦闘中
でも充実した毎日
頑張れ、自分!

 

 

 

 某テレビ局の24時間チャリティ番組が終わると秋が来たんだなぁと思います。今年は、最高齢のマラソンランナーが、見事完走しました。盲目のチャレンジャーの少女もキリマンジャロ登頂を成功させました。被災地からの情報に励まされたり、感動したり爽やかな気持ちで、前向きな気持ちに私も頑張らなくてはと思います。
 私事ですが、勤めている介護施設で、管理職となって3カ月が過ぎようとしています。日々の種々雑多な事務処理から人事まで悪戦苦闘中です。時として、逃げ出したくなる時もあります。若い介護職員が、悩み苦しんで泣いている時、私だって泣きたいんだよと叫びたくなる時もあります。
 思えば、このマンションに夫婦2人で移り住んで来て、子供が産まれて、子育てに追われている時には、社会から自分一人だけが置き去りになっている気がして、悩み苦しみ涙した事もありました。
 その頃に比べれば、現在は責任ある仕事を任されている訳ですから、胸を張って正面を向いて、進むしかありません。
 そんな訳で、現在のこの悪戦苦闘の日々も、あの、社会から取り残されていたと感じた頃に比べれば、充実した素敵な毎日なのです。
 しかし、そう分かっていても、エントランスホールで、ベビーカーを押したママを見ると、何かあの日に戻りたいと感じてしまうのです。本当に人の気持ちって勝手ですね。
 ですから、今の状況で悩んだり苦しんだりしている方たちに言いたいです。悩みがあって良いです。苦しんだって良いです。前を向いて自分を信じて歩んで行きましょう。きっと道は開けます。たぶん、私も一緒に歩んで行きます。
 そしてまた、開けた道の先には、再び荒地やぬかるみの道があったりするのです。そして、途中で休むことは出来ても真っ直ぐ進むしかないのです。頑張れ自分って事で、失礼しました。

(集合住宅管理新聞「アメニティ」2011年9月号掲載)
【つづく】

 

2方向の窓を開け
風の通り道をつくり
家中を涼しくします

 

 

 

 暑い日が続いています。東日本大震災以来、電力の削減が続いており、職場でも冷房の温度を高めに設定するようになりました。
 朝、出社すると皆、暑い、暑いと言って来ますが、毎日、一番で出社する私は、冷房嫌いなので、クーラーのスウィッチは入れたりしないので、口煩い職員に文句を言われますが、気にしません。震災以前から、夏は暑く、冬は寒く、そんな生活をしてきた私は、太陽が高く昇るまでは、外気を取り入れて過ごせば良いと思っているのです。
 被災地では、不自由な生活をしている方々がいるのです。私の冷房嫌いによる電力削減が多少でもお役に立てればと思います。
 マンションは確かに閉め切っていると風の動きがないので暑いのです。が、バルコニー側の窓を開け、反対側の居室の窓を開けると、風が通り抜けて涼しいのです。首に濡れたタオルを巻いて、その通り道に立つと、かなり涼しいです。日昼でも快適に過ごせます。夜になると、肌寒くさえ感じるのです。
 ただし、汗は流れるので、水分と塩分の補給だけはしなければなりません。家の中に居て熱中症になるわけにはいきませんから、気を付けましょう。
 原発の事故を受けて思うのは、大型ショッピングセンター、オフィスビル、マンション等の建物は、昼間でも、電力を消費することで成り立つように出来ているということです。窓側は、多少の門外となりますが、外が明るい時でも、電力により明るくしなければ過ごせないのです。日中、読書する時、明かりを点ける時、罪悪感を抱く今日この頃です。
 これからの建物は、太陽光発電も有効でしょうが、電力の消費も最小限で、外からの熱あるいは、寒気を遮断しつつ、外光も最大限に取り入れられるものを増やしていってほしいものです。
 そのように考えると、日本古来の建造物が一番の理想なのでしょう。でも、冬は寒い。

(集合住宅管理新聞「アメニティ」2011年8月号掲載)
【つづく】

 

パートタイマーから管理職に。
自分に任されたこの仕事を
子育て同様、育てていきたい

 

 

 暑い暑い本格的な夏が、やって来ました。そして、また、中学生、高校生たちには、挑戦の夏です。頂点を目指しての各種大会の地方予選が始まります。各々の夢を掴むために頑張ってほしいです。
 さて、私事で恐縮ですが、パートタイマーとして働いていた職場で、この度、正職となり、また管理職に抜擢されました。歩きはじめたばかりなので、暗中模索の日々ですが、ここまで来れた事に感謝です。
 思えば、このマンションで、子育てのみに明け暮れていた頃は、それはそれで、楽しく満ち足りていました。が、その一方でこのまま自分は、社会から取り残されて行くのかと落ち込む事も多かったのです。駐輪場の通路で、息子たちが自転車で走り回るのを見守りながら、颯爽と仕事へ出掛ける方たちの姿を羨望の眼差しで見ていました。
 そんな頃、子供を産んでも仕事を中断せずにキャリアを積んでいた姉が、2軒目のマンションを別荘として購入したと聞いた時、私の心に火が点きました。子育て中でも将来のために自己投資すると決心したのです。
 まずは、その時、出来る事からという訳で休日に、まだ幼かった息子を夫に預けて、市の広報等で紹介されている自己啓発セミナーに参加したりしました。そんな積み重ねが心の中の肥やしになっています。
 そんな訳で、今になって思う事は、焦ることはなかったなという事です。子育ては、それだけで立派な大切な仕事です。その中で、知り合った友人、子供の担任の先生、スポーツクラブのコーチの方々との関係から得るものが、とても多かったのです。
 そして今、子供たちは成長し、私が居なくても、自分自身で行動出来るようになり、おまけに私が仕事で壁にぶつかった時、アドバイスまでしてくれるようになりました。これからは、子育て同様に、自分が任された部署を育てて行くのが私の仕事です。頑張ります。

(集合住宅管理新聞「アメニティ」2011年7月号掲載)
【つづく】

 

今年の梅雨は長引きそう
前向きに考えましょう
恵みの雨ですものね

 

 

 

 朝起きて、晴れているか雨降りかで気分に違いはありませんか。今年の梅雨は、長引くらしいので、農作物の成長のためには必要なおしめりですから、前向きな気持ちで乗り越えましょう。天の恵みですものね。
 さて、皆様方は『ありがとう』『すみません』を素直な気持ちで、言葉に出して言えますか? 他人に間違いを指摘された時、潔く認め反省する事が出来ますか。他人の失敗を責めるのではなく、それから学ぼうと思えますか。
 マンションのエントランスで、扉を押さえてもらったり、エレベーターを待ってもらったりすれば、『ありがとう』は言えます。駅のホームで、肩が当たれば、『すみません』と言えます。
 でも、間違いを指摘された時、心から教えてくれた事に感謝して『ありがとう』と言うのは難しいと思いませんか。ついつい言い訳してしまったりします。子供の頃は、素直に『ごめんね』と言えたのに。
 子供には悪い事をしたら謝るように、親切にしてもらったら『ありがとう』とお礼を言うようにと教えています。
 ところが、大人になって自分自身の事となるとどうでしょう。
 素直に謝る事の難しさ、間違いを認める事の難しさが重くのしかかります。まったく思っている事と実際の感情が違ってしまいます。
 それでも、これを克服して全てに感謝し、『教えてくれてありがとう。次回は間違えないように気をつけます。すみませんでした』と言えた時、人間は成長出来るのだなと思います。言い訳からは何も生まれません。
 先日、職場であったのです。ある職員の行動が外部の方からの苦情となり会社に電話が入りました。本人には、不本意な事で、認めてはもらえません。
 でも、何気ない行動が他人を不快にした事は事実です。素直に感謝の気持ちと共に謝らないといけません。

(集合住宅管理新聞「アメニティ」2011年6月号掲載)
【つづく】

 

一人の人間は弱いけれど
みんなの手が集まれば
大きな力となる

 

 

 

 震災から二カ月が経ちました。時間を重ねるにつれて、想像を超える状況になっているのを見たり聞いたりする度に、ただただ目を閉じて、祈る事しか出来ない自分自身に腹が立つのは私だけでしょうか?
 そして、また数々の産業にも影響は広がると思われます。被災した地域が広範囲に及ぶだけに、私たちが今までの生活でどれだけ大きな部分を助けられていたのか、日々の生活の中で、どれだけ恩恵を受けていたのか、今さらながら気付かされました。
 我が家の子供たちが幼い頃に「安全なおいしい魚を食べさせたい」と共同購入していたのは、気仙沼の漁師さんたちの汗の結晶です。
 いつか「子供が産まれたら見せてあげようね」と、結婚前に訪れた三陸の海の美しさは忘れた事はありません。
 現在、私の暮らすマンションのバルコニーからは、さんさんと太陽の光が差し込んでいます。窓外に広がる街並みは、日々の生活を営んでいます。何と幸せな光景でしょう。普通に日々の生活が送れる事の幸せを忘れてはいけないと思います。
 そんな中で、今の私に出来る事は何だろうと考えます。政府が考える事、報道している事を批判するのは簡単です。でも、あまりにも大きすぎて、どこから取り組んだら良いのか、なかなかまとまりません。
 ニ人の息子たちには話して聞かせます。あなたたちのような若い力がこれからの日本の再建に必要なのだから、無事に高校、大学で学べる幸せに感謝して、しっかり学び社会に役立てる人間になって欲しいと。
 そして、私自身はどうすべきか、何が出来るか、と思った時、頭に浮かぶ歌詞がありました。知っていますか? 『一人の手』です。
 ひとりの小さな手では何も出来ないけれど、みんなの手とあわせれば、何か出来るという歌です。ひとりの人間は、とても弱いけど、みんなが集まれば、強くなれるのです。

(集合住宅管理新聞「アメニティ」2011年5月号掲載)
【つづく】

 

皆が希望に向かう春だった
巨大地震で卒業式中止
日常生活の贅沢さ分かる

 

 

 

 あらゆる生命の息吹きに溢れ希望に満ちる季節の春が訪れました。進学、就職と皆が夢に向かって胸躍らせる、そんな素敵な時を過ごせるはずでした。
 それは、何の前触れもなく突然やって来ました。私は、職場で施設の利用者さん達とかなり激しい揺れを感じました。車椅子の方が前後に激しく移動し、慌ててブレーキを確認し、押さえて揺れが止まるのを待ちました。
 利用者さん達が怪我をしたり、体調を崩したりしたらどうしようかと心配でしたが、帰宅するそれぞれの家の安全を確認し、地震の影響で渋滞する道を、声を掛け合って全員の方を無事送り届けさせて頂き、施設に職員が帰ったのは、夜の9時を過ぎていました。いったい何が起こったのか、まだ、わかっていないくらい夢中でした。
 その後、テレビの報道等で、東日本巨大地震の全貌を知り、本当に、こんな事が起こってしまったのかと信じられない思いでした。
 そして、気持ちを落ち着かせて、携帯電話を見ると、全国の知り合いから「大丈夫?」というメールが入っていました。
 私の住む県でも津波の被害を受けたので、心配して下さったのです。私は自分の目先の事に追われて動揺していたので、とても恥ずかしく感じたものです。自分達も各地で揺れを感じ怖い思いをしたはずなのに、他人を思いやる気持ちのある事に感激しました。
 その後、長男の大学も全てが休止になり、次男の卒業式もなくなりました。でも家族4人が、毎日、顔を合わせ温かい食事を食べる時、そんな日常がどれだけ贅沢で幸せな事だったのかと考えます。
 子供達も〝今、僕たちに何が出来るのだろう〟と私に被害の状況を知る中で聞いてきます。それは、私にもわかりません。悲しみ、絶望感が理解出来るなんて事、申し訳なくて言えません。現在、出来る事をやるしかありません。皆で、頑張る事です。

(集合住宅管理新聞「アメニティ」2011年4月号掲載)
【つづく】

 

むち打ち症に悩む私だが
本に載っていた整骨院で
全く違う治療法に出会った

 

 

 

 春の訪れを感じられる暖かい日が、増えて来ました。我が家では、次男が高校の入学試験に無事合格し、ひと安心しているところです。つい最近まで、リビングのテーブルに座っても頭のてっぺんしか出てなかったように思うのに、いつの間にか見上げられる程に成長しました。
 さて、以前、我がマンションの前にある整骨院へ通って、事故の後遺症を治療していると報告致しました。とりあえず、真面目に4カ月通ったのですが、頭が重い、背中、腰が痛い、手が痺れるという症状は取れず、仕事中は、痛み止めの薬がなくては動けずに、それでも、調子の良い日もあるので、一新一退しながら、日々、凌いでいました。しかし、それが、私の体の中をとんでも無い状態にしてしまっていたのです。
 重い体を動かして、書店で何となく面白い本はないかとさがしている時、〝むち打ち症は必ず治る〟的な題名の本が目に入り、その中で、紹介されていた、筋整腹療法の整骨院へ行ってみたのです。
 そこで、まったく違った治療に出会い、事故から一年半、飲み続けていた痛み止めが感覚異常を起こし、冷たい、熱い、痛いの感覚が正常に働いていない事が、判明しました。
 まず、神経の治療からという事に、これが少しずつ進めても、身体に負担のかかるものでした。その間、どんなに辛くても薬は飲まずに頑張りました。
 そして、現在は1カ月が経ち、ようやく筋肉の治療に入りましょうという段階まで辿り着きました。
 これは、頑張り過ぎた結果です。先生に、『痛いというのは、身体を休めろという信号なのだから、休まないと駄目だよ!』と言っていただき、体の力が抜けました。事故直後、休んだのは、一週間だけ、仕事が遅れるのが嫌で、無理してしまいました。あのとき、1カ月じっくり休んでいれば、こんなに遠回りしないでよかったかもと思います。
 仕事も大切です。でも、身体が元気でないと駄目ですね。

(集合住宅管理新聞「アメニティ」2011年3月号掲載)
【つづく】

 

長男が交通事故に遭った
幸い入院はしなかったが
相手の対応に誠意なく…。

 

 

 

 寒さが、ますます厳しくなって来ました。朝起きるのが、辛い日々です。出勤前、車のフロントガラスに凍てついている霜をとかすのが日課となっています。風の冷たい夕方は小雪が散らついたりしています。そんな寒い中でも、コンクリート造りのマンションは前夜に暖房を少しでも焚いていると、朝起きてリビングに来ると、何となく暖かさが残っているので、嬉しいのです。
 そんな中で、東京郊外で寮生活を送っている長男は、どんな寒い日でも、自転車で30分かけて、部活の練習に通っていると思うと母である私も頑張ろうと思うのです。冬の朝は、その時はまだ暗いのだそうです。
 親として、大学生なのだから、部活ばかりでなく、将来の為に勉強もしっかりしろよと思うのですが、健康と交通事故だけが心配です。私自身が一昨年、交通事故に遭っているからです。自転車通学なので、事故で加害者にも被害者にもなってはいけない事を充分に言い聞かせていたのです。それなのに交通事故に遭遇してしまいました。幸い骨折とかはなく入院するほどではなかったのです。が、加害者の対応があまりにも誠意がなかったので、同じように車を運転している大人として、腹立たしい限りでした。
 一つ目は、全身を打っているのにも係わらず、直後に立って歩いていたし、本人が呼んで下さいと、言わなかったからと救急搬送してもくれませんでした。
 二つ目は、横断歩道の真ん中で、急停車したにもかかわらず、我が息子の体より、自分の新車の心配をしていた上に、自転車の方から追突して来たと自分は悪くないと主張した事。
 三つ目は、未成年者なのに、親の私の方には、何の連絡も入れてくれませんでした。
 以上の三つです。未成年者を事故に巻き込んでしまったのですから、成人した大人として何をすべきか、恥ずかしくない行動をして欲しかったです。息子には良い社会勉強です。

(集合住宅管理新聞「アメニティ」2011年2月号掲載)
【つづく】

 

21年間のマンション生活で
子供の誕生、成長等々あり
そしてこれからの私…。

 

 

 

 新年あけましておめでとうございます。皆様方にとって、素晴らしい一年であることを心よりお祈り申し上げます。今年も宜しくお付き合いお願い致します。
 さて、早いもので我が家のマンション生活が始まって21年となりました。新築物件を購入して移り住んで来た頃は、夫婦2人きりでした。対面式キッチンのカウンター越しにリビングを眺めては、そこで遊ぶ子供達の姿を夢見たものです。ここで迎えた初めての新年の朝、外廊下より見える富士山の美しさは、忘れることが出来ません。
 その後、長男が産まれ、4年後に次男が産まれました。カウンター越しに遊ぶ子供達の姿が現実のものとなり、幸せな日々、宝物のような時間を過ごしました。台所仕事をしながら、宿題の音読に耳を傾けたり、掛け算の九九を覚えるのを手伝ったり、悪いことをした時には叱ったり、必死に語る子供達の学校での武勇伝を聞かせてもらったりしました。台所とリビングの間のカウンター越しに、どれだけの素敵なことが行ったり来たりしたことでしょう。
 最近では、まだ、誰も帰って来ないリビングで、テレビだけがカウンター越しに私に語り掛けてくれます。子供達は成長し長男は、大学へ進学し、寮生活を送っています。次男は部活動で忙しく、帰宅は遅く、母親との会話は、平日は「飯」「風呂」「寝る」の3種類のみです。幼い頃は、兄と2人で順番に母と話しをしたくて競っていたのに、成長してしまったのですね。淋しいけれど喜ぶべきことなのでしょう。
 そんな訳で新しい年を迎え、母である私自身も、子供達と共に成長しようと思います。人生も半分以上が過ぎてしまいましたが、まだまだ、やりたいこと、駄目かも知れないけど、挑戦したいこと、山盛りあるのです。
 今年は、それを順番に片付けて行こうと計画しています。あの、事業仕分けのR議員が好きなのです。魅力的な女性になりたいな。

(集合住宅管理新聞「アメニティ」2011年1月号掲載)
【つづく】