21.リビルディング・ムーヴメント①

 わが国における建替え実例は、土地資産依存による、いわゆる土地本位制による任意・等価交換方式を採用した建替えが主流で、しかも住宅団地型区分所有建物に限られていた。その理由というのは、住宅団地が指定容積率と使用容積率に大幅な余裕があったからである。分譲マンションの建替えに関しては、実例も基点も住宅団地型に絞り込まざるを得ず、そこから展開せざるを得ない。

 住宅団地型マンションにおける、ここに挙げる事例も、時間を追うごとに従前の専有床面積を取得しようとした時に無償で取得できる面積が減少する傾向を示すが、基本的には等価交換システムの枠組みを維持したもので、国内初事例である「宇田川住宅団地(渋谷区・1956年入居、90戸)シンドローム」に基づく住宅団地型の一括建替えを大前提としている。

 同住宅団地が建替え実現に漕ぎ着けたのは75年。若干空白期間があるものの、この大前提を基本に、首都圏、全国へ向け建替え運動が広がりを見せ始めた。いわゆるリビルディング・ムーヴメントだが、その初期から拡大期はバブル経済と呼ばれた時期と重なりあう。

 ところでバブル期に、すでに建替えを検討していたと見られる同潤会アパートメントでは、例えば中之郷アパートメント(墨田区・1926入居、102戸)は、「入居50年目の79年には外壁の亀裂部分が剥離を起こす」あるいは「腐食で壁面が落下する」という状況を呈しており、大規模修繕では外壁の維持が不可能な状態で危険な兆候が見られたとする。

 同じく毛利・東町アパート(江東区・1926、1930年入居、315戸)では「入居50年目ごろになると、上階でこぼした水が、すぐ階下に漏水する」、「修繕ということよりは建替え以外に全く考えられなかった」という状況であった。この両者は、第一種市街地再開発事業による建替え事例で、中之郷アパートメントは90年に、毛利・東町アパートメントは94年にそれぞれ建替え工事が竣工した。

 この時代の、これらのマンション事例の最大の特色は、ほぼ計画的なマンションの修繕というものはなく、対症療法的な補修を繰り返してきたマンションであり、また建替えの初動期にあって区分所有者自らが、建替えを発想し計画を詰めていったというのは殆どなく、民間ディベロッパー、UR都市再生機構(日本住宅公団)等から建替えを進められて、組合員の意思を集約し具体化したところといってよい。

入居後半世紀、6、70年を迎えるマンションの課題は何か。老朽化、高齢化、空家化…

 

 さらに、老朽化の実情という観点から見てみると、建物の老朽化の判断を、まず「構造的老朽化」、「設備的老朽化」、「社会的老朽化」、「経済的老朽化」と分類できると仮定して見ると、両同潤会アパートメントの事例はいずれも「構造的老朽化」だったと推察される。

 90年代の後半、同潤会系のアパートメントは既に「構造的老朽化」を露呈していたのだと考えられるが、それでも現地調査による住民の声は、「戦後直後に比べればまだまだ大丈夫」といったものもあり、老朽化という概念がいかに幅広い問題であるか、改めて思い知らされた記憶がある。当時としては老朽化に対する明確な尺度が全くなかったともいえる。
 (つづく)

明治学院大学法学部兼任講師・本紙客員編集委員
竹田 智志
2020年1月号掲載