3.~これまでの30年、これからの30年~その3

明治学院大学法学部兼任講師・本紙客員編集委員:竹田智志

6次に亘るブーム到来

 
最近ほとんど聞かないような気がするが、岩戸、いざなぎ、バブルと云えば好景気だし、石油ショック(1次、2次)、円高、金融恐慌と云えば不況と云うことになる。1960年代からこれまでに、好不況の間隙にあってマンションは6度の大流行期を迎え、都市の居住形態として、すっかり定着した。

現在、わが国の分譲マンションのストック数は、16年(平28)末までに約633.5万戸(図表)。マンションが住宅供給の主流である韓国、或いは中国と比べてみると、ストック数では既に追い抜かれ、その差が広がるばかりである。もちろん多ければ良いというわけではないのだが。

マンションの推移
(1)マンションの供給戸数(竣工ベース)

〇現在のマンションストック総数は約633.5万戸(平成28年末時点)であり、そのうち、旧耐震基準に基づき建設されたものは約104万戸となっている。

マンションの供給戸数(竣工ベース)
出典:国土交通省
※1.新規供給戸数は、建築着工統計等を基に推計した。
2.ストック戸数は、新規供給戸数の累積等を基に、各年末時点の戸数を推計した。
3.ここでいうマンションとは、中高層(3階建て以上)・分譲・共同建で、鉄筋コンクリート、鉄骨鉄筋コンクリート又は鉄骨造の住宅をいう。
4.マンションの居住人口は、平成27年国勢調査による1世帯当たり平均人員2.38を基に算出すると約1,508万人となる。

約633.5万戸という数字は、あくまでも竣工ベース。3階建て以上だから、テラスハウス、タウンハウスは含まれない。更に、売れ残りも放置も空家もカウントされていない訳だから、概ねこのぐらいかなということだろう。昔の記憶からすると、ストック戸数の8掛けがほぼ実際に居住している住宅数(マンションリフォーム推進協)だとすると、510万戸前後ということだろうか。

さて、1度目の東京オリンピックは1964年に開催された。オリンピックとマンションが直接関係しているとは思えないが、戦後の復興をアピールするためには開発が中心だったろうし、法整備(62年区分所有法)が調う過程で、第一次マンションブームが到来する。また、60年代末には高級路線から大衆路線に転換し第二次ブームを迎える。

70年代には、田中角栄首相による「日本列島改造論」で不動産投資ブームが起こり、オイルショック、狂乱物価と騒がれながらもマンションは供給を拡大した。70年代後半には2度目のオイルショックに見舞われながらも、スプロール化現象による大規模開発の増加を受け供給数は続伸を示す(四次)。

80年代は、あのバブルに向かって一直線だった訳だから、地価高騰も何のその、高級・高額物件が席捲した(五次)。六次ブームは90年から09年まで。バブル経済崩壊後の平成不況下にあってもなお、年間供給戸数が約15万戸から20万戸を維持し続ける。(つづく)

集合住宅管理新聞「アメニティ」430号(2018年7月)掲載