4.~これまでの30年、これからの30年~その4

明治学院大学法学部兼任講師・本紙客員編集委員:竹田智志

 

区分所有制度の登場と忘れ物

6次に亘るマンションブームを支えた一つの要因に、区分所有制度の導入が挙げられたが、この制度は一体どのようなものだったのだろうか。「区分所有制度を担うのは管理組合だ」。とはいえ、区分所有法を見ても「管理組合」を規定している部分は無いし、法人のところで名称のみ登場してくるにすぎない。「3条に出てくる『団体』こそ管理組合だ」。こんな声が聞こえてきそうだが…。

さて、区分所有制度自体いつ頃できたものだろう(図表)。以外と新しく戦後本格的に各国で導入されてきたものである。わが国初の区分所有法、62年法(昭37)を覗いてみよう。現行法のほぼ半数の条文で構成されている。同法の成立・施行によって第2次ブームを迎えたとされるが、人的構成部分は「管理者」と「区分所有者」。財産的構成部分は、「専有部分」と「共用部分」。これらの規定が主な要素だ。云わば二本立てである。

そこには、区分所有者の団体もなければ、もちろん管理組合すら登場して来ない。ところで、二つの構成部分は両者とも着実に根を下ろし定着するか。その後、人的構成部分は立法担当者の想定を大きく超え、わが国特有の展開を見せる。筆者としては、ほぼ10年前に指摘された「二つの老い」問題を受け、本来の管理者を再度構築し直す時期の到来だとし、現行の理事会方式を活かしつつ管理者管理に舵を切る、そして将来、出来れば天下りも横滑りも認めずプロフェッショナルな管理者管理に一本化していくべきだという主張を行った。本来の管理を忘れ物だと捉えた。

だけれども、“他生の縁”とでも云うべきだろうか。筆者がまだ駆け出しの記者時代、マンション管理に対し国の行政部門は未だ手つかず、管理組合のネットワークが立ち上がり、その活動の輪が全国にまで広がりを見せようかといった頃、余りに独創的な管理を行うが故に『○○天皇』と呼ばれる方がいた。また組合協議会には、管理部門の各セクションを担う『五奉行』のような達人たちがいた。

取材と称して出歩くと、東京、神奈川、千葉、埼玉には、『七人の侍』を彷彿させるようなユニークで堅実で哲人を思わせる個性派(事務局長)がいた。500戸を超える彼らが管理する住宅団地は、バラエティに富みマンションが終の棲家になることを教示しているかのようだった。

そして実は彼らこそ、新聞社を離れて実感したのは、ドイツのプロフェッショナルな管理者、わが国版の『ファーバルター』(verwalter)であったのだと思う。もちろん資格も地位も全く違うのだけれども。

集合住宅管理新聞「アメニティ」431号(2018年8月)掲載