29.リビルディング・ロード④
マンション建替え実例は現在、全国ベースで200例を超えている。区分所有者全員の合意を必要とした「任意建替え」に始まり「法定建替え」へと移行、日本マンション学会によると、借地上の分譲マンションにおいても建替えが進行しているとした報告もある。
さて、今回(以降)紹介したいのは、先回に続き昭和40年代から本格化しはじめた郊外の団地型マンションの建替えである。バブル経済と騒がれた時期に建替え運動が大きく波及したのは事実だ。が実現するのは、その崩壊後しばらくしてということになる。実現に向けた道程は常に波高し。困難の連続であった。
そういった中で、建替え構想の当初こそ、「狭さからの脱出」といったスローガンを多く耳にしたが、その後の展開としては、「住み続けられる街づくり」、「安心・安全な住宅へ」といったように、若干ながら針路、方針の変更が見られたように記憶している。
ところで、首都圏における住宅不足、職住近接の要として登場したのがニュータウン構想。その第一号が多摩ニュータウンだ。90年代に入ろうとしている頃、そのNTの中の一住宅団地が建て替えに向けた検討を開始したことを告げるニュースを書き、編集部内で一蹴された。実に苦い経験だけれども、これが13年(平25)に実現する。
建替えは究極の管理とも表現されるが、従前の居住者にとっては、ある種の“夢”の実現でもある。都心のマンションの究極の管理と郊外型の住宅団地の究極の管理は、そもそも違うものだろうと想像はされるが、ここまで夢の実現を現実化した住宅団地は筆者としても初の経験であった。
多摩ニュータウン諏訪2丁目住宅団地(多摩市、71年入居・640戸)は、京王・小田急多摩線「多摩永山」駅の東側丘陵に建設された中層5階建23棟の、いわゆる団地である。もう少し正確にいうと、同住宅は永山、諏訪といった高・中層の賃貸・分譲団地で構成された団地群の一角を占めていた。
駅前を中心として同住宅群は、起伏の富んだ地形上に位置し、昭和50年代は、NTの最も北側にあった住宅団地で、タウンハウス、商店街等が隣接する。また当時は、通うたびに駅前開発が進行し、起伏に富んだ地形が覆い隠され、ビル群が立ち並び、それらを人工地盤の歩道が縦横に走りながら結びつける、ヒルズ或いは、ヒルズサイドテラスと呼ばれるような街並みを形成しつつ、発展する新しいまちのような風景を提供し続けた。
そして同住宅団地が、従前の居住者の大半の夢を乗せて変貌を遂げた。敷地内には、ゲストルームのある高層住棟のほかクラインガルデン、ドックラン、保育所、高齢者支援施設、クリニック、コミュニティカフェ、コンビニエンスストアに地形上の段差と自然林を生かしたゲストハウスを備えた新しい街並みを持つ一大拠点として生まれ変わったのである。
単に団地型マンションというよりは、ヒルズトップガーデンの中の住宅群と映る。先に述べたように建替えマンション実例は既に200件を超えている。その中の郊外型の住宅団地建替え事例の中にあって、これは異彩を放つ実例ではなかろうか。従後の住戸数は1248戸。人口約3300人。現在のところ、わが国最大規模の建替え実例である(つづく)。
明治学院大学兼任講師・本紙客員編集委員 竹田 智志
(集合住宅管理新聞「アメニティ」2020年9月号掲載)