30.リビルディング・ロード⑤
では、あの異彩さとは何処から来るのか。諏訪2丁目住宅団地が建替えに取り組み始めたのは88年(昭63)。敷地面積約6.4ha、使用容積率約50%。「一団地の住宅施設」(建築基準法86条)上の住宅団地で、「都市計画法」もこれに準じていたと思う。もしかするとこの上にさらにニュータウン法上の規制も乗っかっていたかもしれない。元々の建物群が、これらの法の規制の下に存立していたのである。先に紹介した町山よりも規制の枠が、より強固に敷かれていた可能性が強い。
だけれども、この住宅団地が、同地区の周辺と同じような容積・建蔽率を確保することができるのだとすれば、建替えへの可能性は一挙に跳ね上がる。建て替え検討準備委員会、建替え委員会はまず、この辺の調査研究を手始めに綿密な検討を開始した。コンサルタントとしては当初、UR、大手ゼネコン、そして新進のディベロッパーと続き、ニュータウンの再開発事例が飛び込んでくれば、関西圏であろうと調査に出かけるといった幅広い活動が群を抜いた。
筆者としては、このプランニングの過程の取材、プランニングそのものの正当性の確認機関への関与といったところで関わった。何度か触れたが、当時の自分の理論は、建替えには3つの制約をクリアーする必要がある。立地条件、住宅規模、余剰容積率である。この制約をクリアーとした上で、ここから得られた解答を市場に展開し、建てた建物を売却できるのであれば、建替えが実現できるだろうし、制約をクリアーとしたところで売却できる見込みの立たないものは成立しない。町山の場合、ここにウルトラCを登場させたわけだ。
多摩諏訪2住宅では、様々な建替えのプランニングを検討する過程の中で、結局は一番オーソドックスな手法に落ち着く。この場合、従前の区分所有者全員の預金が同等で、建替えに当たって同様な投資が可能というのであれば問題ないが、従前の区分所有者の投資が可能かどうかの問題も併せ持つことになる。投資は抑えても建替えが実現できるという見通しも重要だ。建替えを発議し、議決権、区分所有者の5分の4以上のコンセンサスを得るためには、投資という費用負担とコンセンサスには密接不可分の関係が生じることになる。
こういった経緯の中で、狭さからの脱出を超えた、新たな街づくりをバックボーンとした丘の上の構想が徐々に芽生え始めてきたのではなかろうか。それは新しい住戸の取得、新しい集合住宅の取得を超えた、以前、URが提供した街区に、これまで培ってきた区分所有の経験を織り交ぜた新街区の形成という形で根付いたのではないか。
そして、これらの経験を踏まえつつ、大半の区分所有者に浸透していったのだとすれば、建替えという夢の実現に、これまでとは違った彩りを与えることに繋がってくるはず。集会所、駐車場と住棟のみの世界から、丘の上の周りの空間に開放的で、何処か人々が集いやすい住空間に装いを変化させ、新しい“場”の提供を目指す。かような新しい街が見えてきたのではないか(つづく)。
【訂正】先回の記事中「多摩永山」駅とあるのは、京王相模線・小田急多摩線「永山」駅の誤りでした。お詫びして訂正します。
明治学院大学法学部兼任講師・本紙客員編集委員 竹田 智志
集合住宅管理新聞「アメニティ」2020年10月号掲載