41.リビルディング・ロード⑭
さて、再開発の魅力とは何だろう。マンションを含んだ駅前再開発の事例は、殆どないから、少し方向を変えて敷地の歴史的育みをまとった事例を探索してみよう。筆者が散策した近隣の街並みからのピックアップである。
ガーデン山住宅団地(横浜市神奈川区)、当時としては、一風変わった名称だが、JR「横浜」駅よりやや北側の丘陵地帯に位置する。元々は、明治・大正期の大富豪である大沢幸次郎氏の邸宅、庭園跡地を利用して現URが再開発した(1966)。
横浜ガーデンと呼ばれた植物園・動物園を配した庭園の中にあって戦後、住宅団地が登場したわけだが未だもって、同住宅にはかつての富豪が築いた庭園が色濃く残され、住宅団地にあって歴史の持つ重厚な雰囲気を漂わせている。そして、眼下に広がるのは、元々の横浜の市街地である。
同住宅団地をあとにして少し南側に移動すると、本紙でも何度か取り上げられた野毛山住宅団地(西区・56年入居、120戸)に至る。同住宅団地は、平成20年に建替えが竣工。現在はアトラス野毛山(142戸)に生まれ変わった。
とはいえ、同住宅団地を現・URが分譲する前は、明治期の豪商・貴族院議員の平沼専蔵氏の別邸跡地である。気高く積まれた石の擁壁が、かつての栄華を物語るように聳え立つが、当時としては、ここから横浜港を一望できたであろう。抜群の景観と眺望を備えていたのだ。
両者ともに、歴史を携えたマンションということになる。もう少し足を伸ばしてみよう。JR根岸線のトンネルを抜けると「山手」駅がある。この駅の横浜側が「関内」(関所の内側)だ。さらにトンネルを抜けると、風景が一変した。進行方向の車窓には「富士山」も時々姿を表す。
現在、海側は、いわゆる石油基地で埋め立てが進み、丘陵地側は住宅地として発展してきたのだというが、明治・大正、戦前は別荘地として開発が進んだ。「根岸」、「磯子」といった駅前は、断崖のように切り立った丘陵地が目前に迫ってくる。高低差は30mから60m前後だ。これらの丘の上から見た景観は、東京湾が巨大な池・湖のようにも見えてくるのだろう。風光明媚そのものだと思う。
さて、「磯子」駅の正面に位置する丘陵の先端にはかつて、東京湾を見下ろすように横浜(磯子)プリンスホテルがあった。建物はアーチ型で、その中心部分が前に突き出ている。誰しもが一目見れば記憶に留まるような、異様で孤高な建築物であったと記憶する。
この建物を含んだ一帯が再開発に着手し、現在のマンション群(ザ・ピーク、1200戸強)に生まれ変わったのがほぼ10年前。同ホテルの一部オープンが1954年、その前は、旧東伏見邦英伯爵の別荘で、貴賓館と呼ばれる別邸は今も健在だ。(一部https://www.bc-isogo.com/town/21/08/25/参照)
時代と共に「再開発」の様相は変わる。変わらざるを得ない。住宅団地の単独建替えは、その必要性に応じてなされれば良いが、再開発は、そうもいくまい。各コンセプトを明確にした上で、SDGs(持続可能な開発目標)を、一つひとつしっかりと実現しつつ前進させて行くプロセスが重要だし、さらに幅広なコンセプトをどう連携させて行くかが今後の課題ではなかろうか。(つづく)
明治学院大学法学部兼任講師・本紙客員編集委員 竹田 智志
集合住宅管理新聞「アメニティ」2021年9月号掲載